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演劇の中の中学校

ADEFの会長をやっている嶽本あゆ美です。

この度、幹事会で活動を活発化させるためにブログを順番で更新していくことになり、

会長から開始しました。

さて私はただ今、下北沢のスズナリでプレオム劇「妄想先生」を演出しています。

このお芝居は、中島淳彦氏の作で、卒業式を目前とした公立中学校が舞台。

主人公の国語教師の河西文子は、独身で五十代の女性。私と同年代です。

文子は認知症の母を抱え、自分の教師としての能力悩みながら生徒に向き合う日々。そんな中、次々と事件が発生します。

大変な事態になるたびに、河西文子の妄想がものすごいことになっていきます。

その妄想に現れる恩師・坂本先生は文子が教師を目指すきっかけとなった先生だったのです〜〜〜

 

この劇は、50歳以上の人の共通体験としての中学校の「あるある」が描かれています。

特に卒業式は歌や群読など忘れられない思い出満載です。学校での歌唱も時代とともに変わりますよね。

先月、私は稲城市の中学でクラスでポエムを作る活動をしたばかりで、稽古しながら中学生の照れくさい様な面倒くさいような、

何とも言えない表情を思い出しながら、稽古に励んでいました。

そして、舞台で重要なキーワードとなるチューリップが、その中学校の門前で満開だったのも、

現実と芝居がシンクロしてる様に感じられました。

 

稽古中に、出演者たちと学校の思い出を語りあいました。

私が中学生だった40年近く前、先生はなんと!生徒をぶっ叩いたりしました。

運動部の人は、部活で顧問に暴力を振るわれた経験が多いようでした。

かくいう私も、随分ひどい目にあったことがあります。

体罰が横行していた信じられない昔、あれは何だったのか?

セクハラ、パワハラ、てんこもりの教師がいましたよね?

体罰は絶対悪です。しかし、先生も人間であるかぎり、間違いを犯します。それを大前提にしないと、

思考停止に陥り、なぜその暴力が起きたのか?分からず仕舞いとなります。

この舞台では、社会科の女性教師が暴力をふるって懲戒免職になります。

なぜ、先生は生徒を殴ったのか?

 

暴力は悪ですが、手を振り上げない暴力・いじめも学校にはあります。

複雑になった世の中と、学校現場、そして稽古場を行ったり来たりしている間に、

学校の存在理由についても考えました。

公立の小学校、中学校では様々な階層、家庭の子どもが出会います。

社会縮図ともいえる世界が、学校の中にあるのでした。

その中で他人とコミュニケーションしながら、人は育っていくのです。

「妄想先生」では、悩む主人公に亡くなった恩師が語ります。

 

「何をやってもうまくいかない、そういう時もある。でも、そうじゃない時もある。

それを信じるしかない。土の中でじっとしていた球根が、やがて芽を出し、花を開く・・」

 

多分、学校へ行く意味って、世界を生き抜くために他人とコミュニケーション取れるようになるためですよね?

芝居の稽古をしながら、自分も中学時代にもっとコミュニケーションがうまくできたらよかったのに、と思いました。

学校での演劇手法のコミュニケーション事業、もっともっと行われますように!!

 

次は、石川さんお願いします!

 

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